東セ協 設立20周年を振り返る

NPO法人 東京都セキュリティ促進協力会 副理事長
株式会社セキュリティハウス
代表取締役 照 井 康 平

年月が経つのは早いもので、私が本誌のリレートークに登場するのは3度目ですが、哲学やゴルフトーク等自身の好きなものが題材となっていました。今回は私が所属し副理事長を担当しているNPO法人 東京都セキュリティ促進協力会(日本防犯設備協会 特別会員)略して(東セ協)の設立20周年が2021年6月の総会終了後にお世話になりました関係各所や団体等のご列席をいただきながら、華々しく開催される予定でありました。ご存じの通り新型コロナウイルス蔓延防止対策の指針を鑑み断腸の思いで中止とし、記念誌と記念品の作成に終わることとなりました。
残念なあまり、本誌でも東セ協の20年を振り返ってみます。

東京都セキュリティ促進協力会の設立

1999年11月に警視庁より当時(社)日本防犯設備協会とロックセキュリティ協同組合の有志20社に協力要請があり会の設立準備に入り、翌年2000年3月29日に東京都セキュリティ促進協力会(東セ協)が設立されました。小室誠会長以下、20名の理事監事等の役員が承認され、正会員85法人及び個人・賛助会員5法人・特別会員1法人でスタートとなりました。レセプションもグランドアーク半蔵門に、当時の生活安全部長 竹花豊警視監をお招きし盛大に開催され、21世紀の幕開けとともに何とも晴れ晴れしい門出でした。
しかし、設立当初の犯罪状況というとピッキング等の不正開錠による侵入窃盗が横行し、2002年に日防設も構成員となった「防犯性能の高い建物部品の開発・普及に関する官民合同会議」が設立されるまでは年々増加の一途をたどり、東京都の都民に対するアンケートでは、治安対策が堂々の1位となる最悪な状況でした。
東セ協も役半数が錠前関連の会員だったためCP部品等の製品普及に躍起になっていたように思われます。

東京都の学校110番通報装置

2001年6月(当時)石原都知事は、池田小学校の惨事を受け警視庁と協議の上、都内約6000施設の私立公立中学校・小学校・幼稚園・認可保育園等(養護学校を含む)の教育施設に銀行とまったく同じシステムで行う110番非常通報システムを導入することを、当時NTTの外郭団体の(財)電気通信共済会で設置する事を決定した。このシステムは非常ボタンを押すと警視庁の通信司令室に自動通報され、いち早く警察官が現場施設に駆けつける事が出来るシステムですが、長いあいだ金融機関(銀行・郵便局)等でしか設置許可になっていなかったシステムです。現在でも東セ協のメイン事業として会の運営を支えておりますが、ここまで来るには大変な障害を突破したから実現できたことと当時関係された会員の皆様には、改めて感謝申し上げます。
2001年8月に理事会員よりこの情報を受け、東京都と警視庁へ働きかけましたが状況は至って思わしくなく、10月までに東京都より事業参加承認を取り付ける事ができたのは、奇跡的なことでした。

まず、システム機器がない・24時間監視する中央監視センターがない・公立は入札であり、東セ協には入札資格がない・私立の施設は一軒一軒営業しなければならず手がない・翌年の3月までには完工しなければいけない施工の手がない。など無いないづくしの学校110番非常通報装置設置事業でありしたが、綱渡り的な状況をやり遂げたことも、関係された各所のご理解と、東セ協会員皆様方の神がかり的なご努力であったと、大変感謝いたしております。当時東セ協が担当した1561施設から始まった事業も現在では、都内2600施設・都外2200施設を超えるシステムを管理担当致しております。
24時間の中央監視センターで常に設備状態を監視し、年4回の定期点検を行い常に安全で確実に運用できるように努めております。
この事業を開始したことにより東セ協も法人格を取得する必要性が高まり、2002年4月NPO法人として再スタートとなりました。

東京都防犯優良マンション・駐車場等登録制度受託

2004年8月には、各報道関係者を招きプレスリリースした「東京防犯優良マンション・駐車場登録制度」ですが、警視庁安全総務課と(公財)東京防犯協会連合会や関係機関と何度もすり合わせを重ね、ようやく立ち上がり、この制度の調査・審査を受託できました。特にこの制度は他県の同様な制度の中でもいち早くCP部品の使用にこだわった制度なので、CP部品の普及・啓蒙の一助であったと思います。

広報委員長の死

全てが初めての経験でしたが、2005年8月には関係機関からの要望もあり、「東セ協」広報誌創刊号が会発足5年目にやっと発行されました。ここに尽力されました初代広報委員長の島田隆之様(当時理事)は、私の旧友でもあり公私ともに奮闘してきましたが、4年後の2009年6月に49歳の若さで、肺がんのため他界されましたことは、私にとって大きな衝撃でしたし、東セ協にとっても大きな損失でした。

東日本大震災

また、今でも大きな衝撃として記憶にありますのは、1995年の阪神淡路大震災から16年後の2011年3月11日14:46の東日本大震災でしょう。東京ではその日、国際展示場でのセキュリティショーと重なり、あの大きなシャッターが大きく揺れ慌てふためき、セキュリティ関係者の多くの方が帰宅困難者となったことは今でも忘れられないことでした。

最後に

2012年の登録会員制度発足・2018年の東京防犯優良賃貸住宅制度の開始など、次々と「東京の安全・安心まちづくり」のための事業を展開してまいりました。東セ協発足当時の総予算は役430万円でしたが、現在では大きく飛躍し約50倍を超える事業予算となっています。
昨年予定しておりました総会をはじめ20周年記念事業も中止となってしまい、とても残念な年となりましたが、「世界平和を願い」「天災害に負けることなく」前を向き皆様方と共に力強く歩んで参りたいと思っておりますので、今後ともご指導ご鞭撻を賜りますよう、改めてお願い申し上げます。

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